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コーヒーにおける
「概念」とその「真理」

Truth appears before it is named.

コーヒー、アレーテイア、ワイン




コーヒーの味は、
ナッツ、ベリー、チョコレートといった
さまざまな言葉で語られることが多い。


それらはテイスティングノートと呼ばれ、
ワインの文化にならうように体系化され、
年々、複雑さを増している。


それは、コーヒーの味わいを
他者と共有するための「概念」だ。


その表現や体系は、
どこかワインの世界をなぞっている。

テロワール、ヴィンテージ、発酵。
コーヒーはいつの間にか、
ワインの言葉を借りながら
自分を説明するようになった。

それが悪いわけではない。

ただ、その言葉の向こう側にあるものを、
置き去りにしてしまわないかと、
ふと立ち止まることがある。


概念は、とても便利である。
共通の言葉や定義があるから、
私たちは同じ方向を向いて話すことができる。
学ぶことも、比べることもできる。


けれど、概念は
あくまで後からつくられた枠組みでもある。

一杯のコーヒーを口にした瞬間、
人はまず「感じる」。


その感覚は、
言葉になる前に、すでに起きている。


なぜか落ち着いた。
少し懐かしい気持ちになった。
今日はこの味が、やけに沁みる。


それはナッツでも、ベリーでもない。
けれど、その人にとっては
確かに“そうだった”。


古代ギリシャでは、
真理を「アレーテイア(ἀλήθεια)」
――隠れていたものが、現れること――
と呼んだ。


真理とは、正解ではない。
その瞬間、
その人に向かって世界が開かれた出来事そのものだ。


コーヒーも、同じだと思っている。
フレーバーは説明のための概念であり、
本当の味は、
その人の中で起こる体験そのものにある。


be there は、
正しい飲み方を教える場所ではない。
評価を決める場所でもない。


ただ、その一杯と、その人が
静かに出会える余白をつくりたい。


言葉になる前の感覚が、
そっと立ち現れる、その瞬間のために。





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